第5章 印旛沼の生態系

 印旛沼における生態系は、単に沼のみで成り立っているのではなく、19,700千㎥の水量を湛え11.55㎢の水面積を持つ水圏と493.99㎢の流域面積を持つ陸圏とが有機的につながり、一体化した印旛沼圏から成り立っています。これを生物の棲み分けからみると、『印旛沼・沿岸帯』⇔『堤防』⇔『周辺水路(農業用・排水路)』⇔『水田・畑』⇔『斜面林』の有機的に連続した環境によって構成されているということができます。

 第5.1a図は、印旛沼圏における動・植物の食物連鎖からみた生態系ピラミッドの構造を示していますが、実際には、その後の沼周辺の土地利用形態の変化、環境の変化等にともなってその構造や機能も年を追って変化を余儀なくされているのが現状です。たとえば、平成17年6月に施行された法律「特定外来生物による生態系等に係わる被害の防止に関する法律」、通称「外来生物法」で特定外来生物に指定されている南米原産のヒユ科植物(湿地性種)のナガエツルノゲイトウは、平成2年7月に印旛沼流入河川の一つである鹿島川河口で発見されましたが、今では西印旛沼の湖岸一帯、印旛沼に流入する河川や沼周辺の水路や水田等に広く生育し、分布域を拡大、群生化しています。また、同じ特定外来生物に指定され、雑食性で人に危害を与えるおそれのある南米北部から北米・カナダ南部にかけて広く生息するカミツキガメや、印旛沼の漁業資源を脅かすオオクチバス、ブルーギルなどの侵入と自然繁殖によって、印旛沼及びその周辺の生態系の構造は、第5.1b図の印旛沼の水域・水際域・陸域の生態系ピラミッドが示すように、大きく変化をきたしています。

 この章では、印旛沼圏の食物連鎖のピラミッドを構成する生産者としての水生植物、2次消費者としての魚類、そして高次消費者としての鳥類について概説します。

第5.1a図 印旛沼および周辺域を含めた概括的生態系ピラミッド

第5.1b図 昭和30年頃と現在における印旛沼の水域・水際域・陸域の生態系ピラミッド

5.1 水生植物

 かつて印旛沼は水生植物の宝庫といわれ、沼周辺の農家では昭和22年頃まで、農作物の肥料として利用するため、春期~夏期にかけて沈水植物(主としてコウガイモ、ホザキノフサモ、センニンモ、マツモなど)の採取(モク取り)が行われていました。印旛沼の水生植物の生育分布については、平成13年まで故笠井貞夫氏〔印西市(旧印旛村)〕によって精力的に調査され、その後当基金が平成17年以降独自に行った水草調査結果と合わせて、第5.1a表及び第5.1b表に示しました。

 印旛沼の水草の遷移を概括してみると、北印旛沼では昭和39年の調査で44種(うち沈水植物19種)、西印旛沼では昭和22年の調査で46種(うち沈水植物19種)が観察されていました。しかし、昭和44年竣工の「印旛沼開発事業」以後は、沼の水面積が半減し沼も二分され、水質が悪化し印旛沼の環境は大きく変化しました。このことによって、開発事業完成8年後の昭和52年(1977年)の調査結果では、沈水植物は北印旛沼で15種とさほど大きな変化がみられなかったものの、西印旛沼では8種を数えるにすぎません。そしてさらに、その5年後の昭和57年(1982年)の調査結果では、北印旛沼でも沈水植物が8種、西印旛沼ではさらに減じて4種となり、この後、多少の変化を示すものの、横ばいの状況が平成2年頃まで続きました。

 一方、昭和59年の夏には、西印旛沼では漁船が操業できないほどオニビシが繁茂、また翌年の昭和60年(1985年)には北印旛沼にもオニビシが繁茂、拡大しました。そして昭和61年(1986年)には西印旛沼及び北印旛沼とも、水面の80%以上がオニビシに覆われる状況を呈したことから、千葉県は昭和62年(1987年)から平成6年(1994年)までの8年間にわたり大規模なヒシの刈り取りを行いました。その結果、翌年には北印旛沼では、外来植物のオオカナダモを除いた沈水植物とアオウキクサ及びオニビシを除く浮葉植物は、ほとんど皆無になってしまいました。

 このような状況の中で、当基金では平成17年度から隔年度、今井正臣氏(千葉県生物学会員)の協力を得て印旛沼の水生植物の調査を行いました。最新の平成27年度における調査結果をみると、北印旛沼では浅水性のフトイ、ホテイアオイや深水性のヨシ、マコモ等抽水植物の8種、また西印旛沼ではホテイアオイ、ヨシ、マコモ等の抽水植物が5種と沈水性植物のオオフサモの1種に、オニビシ等の浮葉植物を合わせ、それぞれの沼において確認した総種類数は13種と12種でしたが、これらの結果は近年ほとんど変わっていません。

 なお、第5.2表には、平成26年7月9日(北印旛沼)及び平成26年7月16日(西印旛沼)に行った北・西印旛沼及び周辺水域で生育を確認した水草を合わせて示しました。なお、平成27年度における結果は平成26年度と同様でした。また、平成11年頃からオニビシは、再び繁茂域を拡大し、漁業や船舶の航行に支障をきたすまでになったことから、第5.3表のとおり、県は平成22年度からオニビシの刈り取り行っています。

第5.1a表 北印旛沼の水生植物における種類数の変化

第5.1b表 西印旛沼の水生植物における種類数の変化

第5.2表 印旛沼及び周辺水域に生育する水草

第5.3表 近年の印旛沼におけるオニビシの繁茂面積と刈り取り状況

5.2 魚介類

 印旛沼における魚介類の種類は、「印旛沼開発事業」を境にして大きく様変わりしました。印旛沼及び周辺の水路において昭和50年(1975年)以降平成25年度までに確認された魚介類は、第5.4表に示すように64種ですが、このうち魚種は、現在、少なくとも約40種が確認されています。環境省の絶滅危惧種として指定されているメダカや千葉県の要保護生物として指定されているヌカエビは、沼からは完全に姿を消しているものの、沼周辺の水路にはまだ健全に生息していることが知られており、この他にもサワガニ、ホトケドジョウ、シマドジョウ、タナゴ類などの希少性の高い種が汚濁した沼から逃れ、沼水の源泉である谷津の水路に生息していることは、裏を返せば、沼の水質が改善されれば、これらの種はいつでも沼に戻り、かつての多種多様な生物の棲む沼が復活することが期待できます。

第5.4表 1975年以降に印旛沼と周辺の水路で確認された魚介類

第5.4表 1975年以降に印旛沼と周辺の水路で確認された魚介類

 第5.5a表及び第5.5b表〔千葉県水産総合研究センター業務年報より作成〕は、最近10年間(平成21~30年)における北印旛沼(甚兵衞沼を含む)と西印旛沼での張網調査によって捕獲、確認された魚・甲殻類を示しています。結果は、年度によって確認種にバラツキが見られますが、ここ数年は23~26種となっています。また、平成27年度は西印旛沼のアユ、平成29年度は北印旛沼のキンブナと近年確認されていなかった魚類が捕獲されました。一方、平成22年度を最後にサケ、ギバチ、スズキは確認されておらず、代わって特定外来生物に指定されたコウライギギが、平成27年度西印旛沼で確認されて以降毎年確認され、平成30年度は甚兵衛沼も含め印旛沼全域で確認されています。

第5.5a表 北印旛沼の張網調査で確認された魚・甲殻類

第5.5b表 西印旛沼の張網調査で確認された魚・甲殻類

5.3 鳥類

 印旛沼は「印旛沼開発事業」後、西印旛沼と北印旛沼に2分され、捷水路で結ばれてはいるものの、地形的、環境的にはそれぞれ異なる背景を抱くことになり、鳥類も自ずと両沼で少しづつ異なる生活圏を示すようになりました。また、近年、両沼とも水質の悪化や餌となる水生植物や魚類等の動植物が減少し、沼周辺に広がる水田も冬季の乾田化や耕転されることで、鳥類にとって採餌や生息がしにくくなり個体数は減少しています。

 しかしながら今でも、印旛沼では1年を通して水面及び周辺域で生活する留鳥のサギ類やカワウ、キジ等の多くの鳥類が生息しています。春と秋には渡りの途中で、栄養補給の中継地として利用するシギ、チドリなどの旅鳥が立ち寄ります。春から秋には、オオヨシキリやツバメなどの夏鳥が繁殖のために南の国から渡ってきてヨシ原を利用し、冬にはカモたちが沼水に姿を見せ、ヨシ原ではオオジュリンやチュウヒたちの冬鳥が越冬地として北国から渡ってきて沼と周辺地で生活しています。

 こうした沼や周辺地を利用する野鳥の中にはサンカノゴイ、オオセッカ、コジュリンといった環境省や千葉県のレッドリストに掲載されている希少種も生息しています。また沼の周囲に生育するヨシ原は、オオヨシキリやオオジュリン、チュウヒなどのヨシ原に強く依存して生活する鳥やウグイスやモズなどの国内を季節によって移動する鳥の生活場所となっています。印旛沼は人が見る以上に多様性に富んだ自然があり、その環境を利用して様々な鳥類が生活する野鳥の宝庫となっています。

 なお、鳥類の確認調査は、気象条件等によって結果にバラツキが見られますが、第5.6表は、印旛沼及び周辺域で視認されるシギ・チドリ類について浅野俊雄氏((公財)日本野鳥の会)が行った調査に基づき結を取りまとめ示しました。また、第5.7表には同氏によって平成29~30年度に西印旛沼及び北印旛沼とそれらの周辺で確認された128種の鳥類を示しました。

第5.6表 印旛沼及び周辺域で視認されるシギ・チドリ類

第5.7表 印旛沼周辺で確認された鳥類

第5.7表 印旛沼周辺で確認された鳥類

第5.7表 印旛沼周辺で確認された鳥類