印旛沼は、千葉県北西部の下総台地のほぼ中央北部に位置し、昭和27年に隣接の手賀沼とともに「県立印旛手賀自然公園」に指定された風光明媚な湖沼です。当時の印旛沼は、第2.1図に示すように、ローマ字のWの字(又は龍の姿)に似た形状を呈していました。
しかし、沼の中央部が昭和期の「印旛沼開発事業」によって埋め立てられ、第2.2図に示すように、北印旛沼(以下、北沼と称す)と西印旛沼(以下、西沼と称す)に2分され、捷水路で結ばれる現在の形となりました。
第2.1図 「印旛沼開発事業」前の印旛沼の形状
第2.2図 「印旛沼開発事業」後の印旛沼の形状
沼の面積は、北沼(6.26㎢)と西沼(5.29㎢)を合わせて11.55㎢と、開発事業以前(約29.0㎢)に比べて約半分に縮小し、平均水深は1.7mで開発事業以前(0.7~0.9m)に比べ倍近く深くなっています。現在の沼の諸元は、第2.1表に示すとおりです。

印旛沼は、現在、上水道、工業用水及び農業用水の貴重な水源としてのみならず、水産、レジャー、親水、そして観光など多方面にわたって利用されています。なかでも、用水源としての印旛沼は、千葉県民の“命”はもとより、日本経済の一端を担う基幹産業の重要な“水がめ”となっています。
沼に流域から流入する水量は、第2.2表〔独立行政法人水資源機構「水資源開発施設等管理年報」より作成〕に示すように、年によって変動がみられますが、最近5ヵ年(令和2年~6年)の平均では4.794億㎥(酒直機場からの汲み上げ量を除く)となっています。このうち、工業用水、農業用水及び上水道用水として利用される水量はそれぞれ1.261億㎥(流入水量の26.3%相当)、0.402億㎥(8.4%)、0.328億㎥(6.8%)の計1.990億㎥(41.5%)、そして残りの2.804億㎥(58.5%)は利根川に自然放流(増水時は機場により利根川又は花見川に強制排水)されています。

工業用水は、第2.3表に示したように、西印旛沼の2ヵ所で取水されています。そのうち、1ヵ所(第2.3図に示した“B”の地点)は、昭和36年(1961年)に川崎製鉄(株)(現JFEスチ-ル(株))が第一期工事として着工し昭和38年(1963年)に竣工、その後、昭和46年4月(1971年)に第二期工事として川崎製鉄(株)と千葉県が共同で建設した印旛沼浄水場です。現在の送水能力は28万㎥/日で、JFEスチ-ル(株)東日本製鉄所千葉地区(1.8㎥/秒)と京葉地区工業地帯の千葉市新港地区、市原市、袖ヶ浦市の臨海部に立地する企業(1.54㎥/秒)に配水されています。
他の1ヵ所(第2.3図に示した“C”の地点)は、印旛沼河口に近い鹿島川河畔に千葉県が五井姉崎地区の企業(現在では市原市、袖ヶ浦市、佐倉市の企業)に給水するため建設した計40万㎥/日の給水能力を有する佐倉浄水場です。佐倉浄水場は、通常時は鹿島川の河川水を、そして低水期には印旛沼の水を合わせて取水しています。
この2つの浄水場による工業用水の使用量については、第2.2表に示したように、直近5カ年平均(令和2~6年)で1.261億㎥/年となっています。

第2.3図 上水・工業用水の取水施設と農業用水の主な揚・排水機場の設置場所

上水道は、第2.3図に示した県営水道印旛取水場(第2.3図に示した“A”の地点)で佐倉市臼井田地先の印旛沼の表層水を取水し、約9.6㎞離れた千葉県企業局柏井浄水場に送水し高度浄水処理(オゾン処理+活性炭処理)を行い、利根川から取水して浄水処理した水と混合し、県営水道として浦安市の全域並びに千葉市、市川市、船橋市、習志野市及び市原市のそれぞれの一部区域に、また浄水処理を委託し印旛郡市広域市町村圏事務組合が給水している佐倉市、八街市、四街道市、富里市、酒々井町の5市町の計11市町に配水しています。
ここで、柏井浄水場の歴史を遡ってみると、昭和43年7月に給水を開始した柏井浄水場の西側施設で利根川と印旛沼から取水した水を処理していましたが、施設が稼働して間もない昭和45年(1970年)にはカビ臭(異臭味)問題が発生したことにより、昭和55年4月給水開始予定の拡張工事(東側施設)の計画を変更、高度処理施設(オゾン処理+粒状活性炭処理)を導入しました。これに伴い利根川の水は西側施設で通常処理され、印旛沼の水は東側施設で高度浄水処理されるようになり今日に至っています。このため、印旛沼の浄水コストは、利根川を水源としている北総浄水場など通常処理の処理費に比べ非常に高価となっています。また、印旛沼の水は、昭和55年(1980年)以前までは利根川の水と一緒に処理されていましたが、以後は印旛沼の水は別系統で単独に処理された後、混合して配水されています。
印旛沼の水を農業用水として利用するため設置された主な揚水専用、排水専用の機場、揚・排水の兼用機場の位置は第2.3図に、またそれぞれの機場における諸元については第2.3表に示したとおりですが、この他にも印旛沼土地改良区が管理する小規模の揚・排水機場が存在しています。これらをすべて含めた機場(農業用水計画量:18.961㎥/秒)からの用水受益灌漑面積は52.369㎢に及んでいます。
また、昭和40年代の「印旛沼開発事業」の一環として整備された基幹設備等は、最近になって施設の老朽化が進み維持管理費の増加、流域での土地開発が進んだことによる洪水被害の多発、用水供給能力のひっ迫などの諸問題が生じました。
このような状況を踏まえ、農林水産省では平成22年度から直轄事業である国営かんがい排水事業「印旛沼二期地区」を実施し、老朽化した農業水利施設について整備を行っています。
国営かんがい排水事業「印旛沼二期地区」(以下「印旛沼二期農業水利事業」という。)は、昭和40年代の印旛沼開発事業の一環として整備され老朽化した農業水利施設(用排水機場や農業用排水路等)について整備を進めるとともに、循環かんがい(水田からの排水を印旛沼に排水せず、低地排水路で集めて再度農業用水として利用する方式)を導入することで印旛沼の水質保全を進めていく事業です。(事業概要は第2.4表を参照)
また、本事業の実施に併せて千葉県が実施する農業水利施設や農地の整備等を関連事業として行うこととしています。

印旛沼二期農業水利事業で整備する農業水利施設のうち5つの機場(白山甚兵衛・埜原・吉高・宗吾北・宗吾西の各機場)と用水路・排水路が整備され、地域の営農に使われているところです。今後は一本松機場の改修を進めるとともに、残りの用水路整備等を進めることとしています。
第2.5表に示す5つの機場では、循環かんがいに必要な施設が整備されました。これにより、印旛沼から取水した農業用水は低地排水路、機場を通じて反復利用することができるようになり、用水不足の解消が期待されます。また農業排水を再利用することで印旛沼への排水を減らし、肥料に含まれる窒素やリンなどの排出負荷量の削減を実現しています。

循環かんがいの導入による水質保全の推進のほか、印旛沼の環境保全対策に取り組むための体制づくりを行い、地域農業の持続的発展を進めていくこととしています。
具体的には、地域一帯での「環境保全型農業」の展開による地域農業の振興により、「ちばエコ農業」の推進による農薬や化学肥料の使用量の削減を目指していきます。
また、水稲の生産だけではなく、米粉用米や飼料用米の導入、畑利用の可能な水田における野菜、大豆、小麦等の生産を推進することで、食料安全保障に資する農業生産性の向上、農業経営の安定も目指しています。
印旛沼に生息する魚種や、漁具・漁法は、前述した「印旛沼開発事業」の完成を境にして大きく様変わりしました。
開発事業以前の印旛沼には鮭・マルタ・ボラなど利根川から遡上してきた魚種、シラウオ・モツゴ・キンブナ・ギンブナ・ナマズ・モクズガニ・スジエビ・マシジミなど在来の魚類・甲殻類・貝類、ビワヒガイ(琵琶湖)・ゲンゴロウブナ(琵琶湖)・カワムツ(中部地方以南河川の上・中流)・ゼゼラ(琵琶湖)などの移入魚種と、まさに多種多様な魚介類が入り乱れ生息していました。しかし、開発後は、在来種の一部は姿を消し、代わってカムルチー(俗称:雷魚)・ハクレン・オオクチバス・ブルーギル等の外来種が加わっています。第2.6表は、かつて印旛沼で生息が確認された魚種の時期と移入種の出現時期を示しています。
魚介類を漁獲するための漁具・漁法も、開発以前は魚介類それぞれの生理・生態特性に対応して数多くありました。しかし、資源量及び魚種の減少によって約25種類にも及ぶ主な漁具・漁法のうち、最近では張網、・船曳網(エビ、ワカサギ、雑魚等を対象)・柴漬(冬は雑魚やエビ、夏はウナギを対象)・竹筒(ウナギを対象)の他に、刺網・置針等が利用されているにすぎません。
印旛沼全体における漁獲の対象は、コイ・フナ・モツゴ等その他の魚種が大きな割合を占めていますが、現在その多くは佃煮の材料として消費されているモツゴです。漁獲量は、漁獲統計がとられた昭和43年には約800トン近くあり昭和56年には最高の1,000トン近くの漁獲を記録しました。その後いくぶん減少したものの昭和61年まで800トン強を維持していました。

しかし、平成16年には81トンと急激に減少しました。この原因は、茨城県の霞ヶ浦で発生したコイヘルペスウイルスの蔓延と相まって、消費者の淡水魚の魚食離れが大きく影響していると思われます。さらに、漁業者の高齢化による漁業人口の減少、食料資源としての社会的価値の低下など種々の課題に加え、近年、特定外来生物であるブルーギル・チャネルキャットフィッシュ(別名:アメリカナマズ)・コウライギギなどの侵入が多くみられるようになってきたこともその一因と考えられ、今後の地場産業としての印旛沼の漁業に一つの大きな問題を投げかけています。
平成18年度以降の漁業統計については、印旛沼単独の漁獲量の数値が公表されていないため、近年の県内の内水面漁業の漁獲量(養殖は除く)をみると、平成20年は275トンであったのに対し、東日本大震災の翌年の平成24年には62トンと大幅に減少し、その後もさらに減少し、令和5年は19トンとなっています。
なお、現在、印旛沼には、第2.4図に示したように、中央排水路を除き、印旛沼及び周辺水路のほとんどで「内共第8号共同漁業権」が設定され、漁業権を有する印旛沼漁業協同組合により、県の認可を受け保護区域として北印旛沼で約46ha、西印旛沼では約99haが、また両沼を合わせて禁漁区8カ所、特定釣場16カ所が指定され管理されています。

第2.4図 印旛沼における漁業関連水域
印旛沼は昭和27年(1952年)10月に隣接の手賀沼とともに、沼を中心とした地域一体が県立印旛手賀自然公園として指定されましたが、最近は、都心に近い自然公園として注目を浴び、貴重な存在になっています。
両沼は四季をとおし有数の魚釣り場(へラブナ・ブラックバスなど)として有名です。また第2.5図に示すように、阿宗橋を起点として最終計画地点の国道356号のふじみ橋まで27.3㎞のサイクリングロードが計画され、そのうち栄町の酒直水門までの21.6㎞は既に整備され、沼及びその周辺の自然を楽しむことができます。残りの5.7㎞については、長門川及び酒直水門の堤防改修工事計画との関連でまだ未着工の状況ですが、サイクリングロードの利用者は年々増加し、(公社)佐倉市観光協会では、年間を通し、自転車の貸し出しを行い、その台数も年々増加しています。

第2.5図 印旛沼に沿って整備されているサイクリングロ-ド
一方、沼や沼のほとりで催される行事としては、第2.7表に示すように、(公社)佐倉市観光協会が4月~10月の期間中に運航する「観光船」、また毎年4月初旬頃には佐倉ふるさと広場で佐倉市と(公社)佐倉市観光協会の共催による「佐倉チュ-リップフェスタ」、10月には成田市が主催して行う甚兵衛公園を拠点とする「印旛沼クリ-ンハイク」・(公社)佐倉市観光協会による「佐倉コスモスフェスタ」・佐倉市による「佐倉市民花火大会」等があり、それぞれ多くの人々が集い、楽しんでいます。
また、流域には、故事来歴のある成田山新勝寺・宗吾霊堂(成田市)、松虫寺・栄福寺・龍腹寺・瀧水寺(印西市)、龍角寺(栄町)等の古寺があり、神社としては麻賀多神社が18社(佐倉市に11社、成田市に2社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社)、宗像神社が13社(印西市に12社、白井市1社)、鳥見神社が18社の内柏市の3社を除く15社(印西市に10社、白井市に5社)、埴生神社が3社(成田市に2社、栄町1社)あるほか、学習・教育の場として国立歴史民俗博物館(佐倉市)、成田山書道美術館(成田市)、県立房総のむら(栄町)、岩屋古墳(栄町)等が数多く存在しています。さらに、龍角寺(栄町)の銅造薬師如来坐像、松虫寺(印西市)の七仏薬師(木造薬師如来坐像1体・薬師如来立像6体)と鋳銅孔雀文磬(ちゅうどうくじゃくもんけい)が国指定重要文化財として指定されており、まさに印旛沼流域は歴史・文化の一大宝庫といえます。
また、優れた自然環境及び身近にある貴重な自然環境を将来に継承していくための「千葉県自然環境保全条例」(昭和48年)第15 条第1項に基づく郷土環境保全地域として、成田市には「麻賀多神社の森郷土環境保全地域(2.80ha)」(昭和54年3月)、「小御門神社の森郷土環境保全地域(1.81ha)」(昭和54年4月)、「大慈恩寺の森郷土環境保全地域(3.01ha)」(平成2年3月)が、また船橋市には「八王子神社の森郷土環境保全地域(1.08ha)」(平成6年3月)が指定されています。

印旛沼は「印旛沼開発事業」後、洪水(治水)対策をはじめ、上述した工業、上水道及び農業等の利水に支障をきたすことがないように、万全の水管理が行われ、第2.1表に示したように、灌漑期(5月~8月)にはY.P.+2.50m、非灌漑期(9月~4月)にはY.P.+2.30mと、印旛沼開発施設によって水位が一定に維持されています。
この水位調節は、第2.6図〔「千葉用水総合事務所の概要」独立行政法人水資源機構〕に示すように、長門川の利根川合流地点に位置する印旛排水機場と印旛疎水路の中間(新川と花見川の接点)に位置する大和田排水機場の2つの排水機場、そして長門川と北印旛沼の取り付け部に位置する酒直揚水機場の運転によって行われています。

第2.6図 印旛沼開発の水管理施設と計画水位の断面
西印旛沼及び北印旛沼の水は印旛捷水路を通して、それぞれ北と西に向かい移動できますが、平水時は沼の水位が利根川に比べ1~1.5m程度高いため、 西沼及び北沼のいずれの水も自然流下で長門川を経て利根川に流れ出ています。
利根川の水位が上流での降雨によって沼より高くなった場合には、印旛水門を閉め利根川から沼への逆流を防ぎ、その状況下で沼の水位が高まった場合には印旛排水機場(能力:92㎥/秒)で沼の水を汲み上げて利根川に強制排水しています。そして、さらに沼の水位が高まるおそれがある場合には、印旛排水機場と同時に、大和田排水機場(能力:120㎥/秒)においても沼の水を汲み上げ、花見川に落として東京湾に放流します。
これに対して、沼の水位が、逆に渇水等で通常の維持管理水位を下回った場合(利水容量の低下)には、利根川の水を長門川を通して酒直揚水機場(能力:20㎥/秒)で汲み上げ、沼に注入しています。
第2.8表は、印旛沼における用水補給のため利根川より酒直揚水機場を通じ汲み入れた水量と、洪水排水のため長門川から印旛排水機場を通じ利根川に排水した水量及び新川から大和田排水機場を通じ花見川に排水した水量等の経年変化を示しています。

なお、治水に関しては、印旛沼の堤防が軟弱な地盤の上に築堤されており、地盤沈下や押さえ盛土の消滅などで脆弱化しているため、県では、堤防の嵩上げなど随時築堤工事を行っていますが、関係機関からは治水安全度を高めるための抜本的対策も強く望まれています。